見た目で意識を引く事がデザインと誤解されている場合があります。
多くの人の目や心を受け入れやすいモノやコトとしてのキャッチーと、普通と違って
いることをして人の注意を引こうとするいわゆる奇を衒(てら)う事には大きな違い
があります。
それは、形を生み出すことの責任や本質を捉えているかという事です。モノを生み出
す事は自由であるべきだと思いますが、公共性が高くなればなるほどモノを生み出す
側に立つ者は安易な判断や選択はするべきではないのかもしれません。
生み出されたモノが、その時代や風景をカタチ作ってしまうからです。
どの時代においても美しいモノは人の心を潤し、感動を与えてくれます。
デザイン=高尚な事ではありません。
日々ありふれたモノが確りと考えられて普遍性をもって生み出される。
そんな理想的な日常をつくりたいと考えています。